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ぜうピ!!.ver 2 - the return -

ケガからの復活を目指し、試行錯誤の日々.......新しい明日に向かって、いざ出陣!

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死者○○○人という報道について

今回の震災でテレビの画面もそうだし、新聞、ネット、全てにおいて『死者○○○人』と亡くなった方々の人数を報道している。



これに対して私は本当に違和感というか、その数字を見たくない思いが強い。



確かにその数字を見て、震災の、そして被害の規模を理解することは出来る。



しかし例えば、100人の方が亡くなったとする。そうすると、その100人の方々、その家族、親戚、友人の皆さん、その一人一人に大事な大事な思いがある。



それを、みんな一緒にして『100人』とまとめられると、その大きさだけしか伝わってこない。そして、『そんなに亡くなったの』と思ってしまう自分が嫌になる。



そうじゃない。数字じゃない。



その一方で新聞やニュースで特定の亡くなった方やその家族の思いが報道される。それを読んだり見たり聞いたりすると胸をぎゅっと掴まれたような、苦しい、息苦しい、そんな気分になる。



先日、幼稚園の送迎の車が被害に遭い、先生一人と、子供が4人も亡くなっていたそうだ。車の中で、子供たちが寄り添って、抱き合っているように見えたらしい。その記事はしかし、ある一人の子供さんとそのお母さんの事を伝えていた。



確かにつらい、悲しい、でもどうにも出来ない、そんな話である。



でも、その車の中には、他に3人のお子さんと、先生が亡くなっていた。その4人みんなが、それぞれに無念な思いと、そしてその家族の方々が、同じように無念な思いをしたはず。でも、報道は『同じ車で他にも亡くなっていた方がいました』になっている。



これは、私は受け入れられない。まとめてしまえるものではないんです。



もちろん報道の限界も理解しているし、だから、限られた方々の話しか伝わってこないのもわかる。でも、そうすることで、伝わってこない方々の無念が私には感じられて、苦しいんです。



別に全て報道しろと言ってるんではなくて、特定の、限られた思いだけを聞くのが、どう受けとめていいのかわからないという事です。



うまく言えないけど、ある部分では重くてつらい思いを聞く事があるのに、反面まとめられてたりする。自分でどうして欲しいのかはわからないけど『死者○○○人に達しました』は、せめて今だけは聞きたくない。これは記録であって、それはいつか、歴史の教科書で知るべき事のような気がする。

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